思考再開

自分さえ良ければ社会から、助け合い・共存共栄社会へ

ベーシックインカムの実現には、仕事に対する共通認識が不可欠である

「仕事とは○○である」といった共通認識がなさすぎるために、社会が混乱している

職場によって「仕事に対する考え方」が、まったくと言っていいほど、異なっています。これでは、「雇用のミスマッチ」が生じてしまうのも無理もありません。私は雇用のミスマッチは、業務内容に対する認識のズレから生じることよりも、「仕事とは○○である」という認識のズレから生じることの方が、多いと考えています。

雇う側がやってほしいことと、雇われる側がやりたいこととのミスマッチなどは、きちんと面接さえすれば(ある程度は)防げます。それにもかかわらず、雇用のミスマッチが生じてしまうのは、もっと根本的なところである「仕事とは○○である」といった共通認識が、社会全体として希薄だからではないでしょうか?

「仕事に対する細かい考え方」については、それぞれの会社の考え方に任せるにしても、「仕事というもの自体に対する基本的な考え方」については、国内のすべての会社で、共通化すべきだと思います。そのためにも、すべての国民は社会に出て働き出す前に、つまり義務教育の間に、「仕事とは○○である」といった共通認識を学んでおく必要があると思います。

私たちが義務教育で学ぶべき「仕事に対する8つの共通認識」

私の考える、世の中に必要な「仕事に対する共通認識」を8つあげてみました。

  1. 私たちは、ひとりでも多くの人たちを「労働から解放する」ために、働くべきである
  2. 労働の目的は「成果を上げる」ことである
  3. 仕事は積極的に「楽」をすべきである
  4. 「自分にしかできない仕事」を誇りに思うことは、無責任そのものである
  5. 「仕事ができる人、できない人」という幼稚な発想は捨てるべきである
  6. 成果は個人のものではなく、全員のものである
  7. 会社は「利益を最大化して分配する」ためにある
  8. 働かないことは自由だが、足を引っ張ることだけは許してはならない

1. 私たちは、ひとりでも多くの人たちを「労働から解放する」ために、働くべきである

生産性の向上と雇用の増加は相容れません。生産性が向上すればするほど、雇用が減少するというのは当たり前の話です。したがって、雇用を増やすことなど、考えてはいけません。むしろ逆です。どんどん生産性を上げて、どんどん失業者を増やすべきです。

失業者が増えること自体は問題ではありません。しかし失業者が食べていくことができなければ、それは問題です。そんなわけですので、たとえ失業したとしても、食べていける社会にしてしまえばいいのです。つまり、ベーシックインカムを導入すればいいのです。

そしてこれからは、「失業率」のことを「労働解放率(労働不要率)」と呼ぶようにします。

失業率とは「これだけの人たちが仕事に就きたいのに、仕事に就けておらず、食べるのに困っていますよ」という比率のことです。労働解放率とは「これだけの人たちが働いていなくても、社会は回っていますよ」という比率のことです。前者であれば、その数字が高くなればなるほど「貧しい国である」ということになります。後者であれば、その数字が高くなればなるほど「豊かな国である」ということになります。同じ数字を扱ったとしても、まったく意味が変わってくるのです。

私たちは、「どうすれば『失業率』を下げることができるか?」ではなく、「どうすれば『労働解放率』を上げることができるか?」と考えるべきなのです。

政府は、「一億総活躍社会」などといったスローガンではなく、「一億総活躍しないでもいい社会(ひとりでも多くの人たちが労働から解放された社会)」といったスローガンを掲げた方がいいのです。「一億総活躍しないでもいい社会」にしたうえで、「それでも働きたい人、何かしら得意分野で社会貢献がしたいという人は、どうぞ働いてください」とアナウンスすればいいのです。

2. 労働の目的は「成果を上げる」ことである

労働の目的は「成果を上げる」ことです。
「一生懸命がんばる」こと自体は、労働の目的ではありません。「一生懸命がんばる」という姿勢・態度は、素晴らしいのですが、そのこと自体は「目的」ではありません。

一生懸命がんばったとしても、成果が上がらないのであれば、それは仕事をしていない、ということです。一生懸命がんばらなかったとしても、成果が上がるのであれば、それは仕事をしている、ということです。

一生懸命がんばってリンゴを90個とるよりも、一生懸命がんばらずにリンゴを100個とる方がいいのです。

3. 仕事は積極的に「楽」をすべきである

仕事において「楽をする」ことは、大事なことです。
楽な仕事の仕方をすればするほど、精神的にも肉体的にも余裕が生まれ、品質やサービスが一定に保たれやすくなるので、消費者の安心安全も保たれやすくなります。しんどい仕事の仕方をすればするほど、精神的にも肉体的にも余裕がなくなり、品質やサービスにバラつきが生じますので、消費者の安心安全も保たれにくくなります。

古くからある「額に汗して働け!」といった考え方は、実はものすごく自己満足的で、ものすごくお客様に対して失礼なのです。「どうすれば、少しでも額に汗をしなくても働けるようになるか?」と考えるようにした方が、結果的にお客様の満足につながるのです。

4.「自分にしかできない仕事」を誇りに思うことは、無責任そのものである

よほど特殊な仕事は、除いた話です。
「自分にしかできない仕事」は誇りなどではなく、無責任そのものです。

ある日、「自分にしかできない仕事」を誇りとしている従業員が、自分あるいは家族の体調不良のために、仕事を休むことになったとします。そうすると、どうなるでしょうか? 他の従業員たちは、彼の仕事(彼にしかできない仕事)の穴埋めをすることができずに、会社の利益は損なわれ、お客様に迷惑をかけてしまうことになるのです。

偽のプロフェッショナルは、自分の仕事の「仕組み化」「マニュアル化」をせずに「自分にしかできない仕事」のままにしておくことで、「自分がいなければ仕事が回らない環境」を作ります。そして、彼は「自分がいなければ仕事は回らない。自分は頼りにされている!」と喜ぶのです。

真のプロフェッショナルは、自分の仕事の「仕組み化」「マニュアル化」をして「誰にでもできる仕事」にしておくことで、「自分がいなくても仕事が回る環境」を作ります。そして、彼は「自分がいなくても仕事は回る。急に休むことになったとしても、会社の利益を損ねることはなく、お客様に迷惑をかけることもない……」と、ひそかに満足するのです。

5.「仕事ができる人、できない人」という幼稚な発想は捨てるべきである

人にはそれぞれ、得意なこともあれば、苦手なこともあります。
ほとんどの場合、得意なことと苦手なこととは、コインの表と裏のように、切り離せない関係にあります。

例えば記憶力に優れている人は、メモを取ったり資料を作ったりすることが苦手です。逆に、メモを取ったり資料を作ったりすることに優れている人は、記憶力に劣ってしまう傾向にあります。これは仕方のないことなのです。

ある現場では、記憶力に優れている人たちは、「あの人は仕事ができる!」と称賛されますが、一方でメモを取ったり資料を作ったりすることに優れている人たちは、「メモや資料なんか役に立たない! あの人には記録力がない! あの人は仕事ができない!」と嘲笑されます。どうしてこのような幼稚な考え方をする大人たちが多いのか、本当に不思議です。

「どちらのタイプの人が仕事のできる人で、どちらのタイプの人が仕事のできない人である」という発想は実に浅はかで、本当のところは「人それぞれに得意なことと苦手なことがある」というだけのことなのです。

これら2つのタイプの人材に優劣はなく、両タイプとも組織に必要な人材なのです。それぞれに長所と短所があるからこそ、お互いの得意分野を活かすことができ、お互いの苦手分野を補い合うことができ、だからこそ組織全体の利益を最大化させることができるようになるのです。

「アイツは仕事ができる、アイツは仕事ができない」などと言っている人こそ、間違いなく「仕事ができない人」なのです。

世の中は「仕事ができる人、できない人」という言葉で溢れています。
そのせいで私たちは、いつの間にやら(たとえ無意識ではあるにせよ)自分や自分の理想とは異なった人を見下して排除するような、傲慢な人間に成り下がっています。そんなわけですので、組織の利益うんぬんだけでなく、自分たちの人間としての品格を落とさないためにも、「仕事ができる人、できない人」という言葉は捨ててしまった方がいいのです。

6. 成果は個人のものではなく、全員のものである

誰かが会社に利益をもたらすアイデアを出したとします。
そのアイデアを実現するには、全従業員で一致団結して取り組まなければなりません。こういった場合に、アイデアを実現することができずに話が終わってしまうという残念な会社は、たくさんあります。その原因の多くは、「成果は個人のものではなく、全員のものである」という社風・文化ができあがっていないためです。

私たちは、本当に幼稚な発想をします。
「アイデアを出す人は優秀である」→「誰かのアイデアに従う人は優秀ではない」→「アイツのアイデアになんか従いたくない!」……

けれども本当は、「どちらが優れていて、どちらが劣っているか」ということはないのです。アイデアを出すという能力もあれば、アイデアの実現を手助けするという能力もあり、それぞれの能力が必要なだけなのです。

「成果は個人のものではなく、全員のものである」という社風・文化ができあがっていない会社では、業務改善は進みません。誰もが「全員で成果を上げる」ことを考えずに、「自分が成果を上げる」ことに拘るからです。

従業員同士で低レベルな競争や蹴落とし合いが始まります。誰かが何かしらアイデアを出したとしても、他の従業員たちは「この業界ではそんなやり方はしない!」「それで利益が上がるくらいなら、とっくに他の会社がやっている!」などと、「反対のための反対」をします。自分の評価を上げるために、「サービス残業をしてでも会社に貢献している自分」を演出するようになります。

「成果は個人のものではなく、全員のものである」と考えるようになれば、全従業員で一致団結して、会社の利益の最大化に取り組めるようになります。「自分の力で会社を良くしたい!」といった自惚れは消え、「みんなで協力し合って(それぞれの強みを活かして、それぞれの弱みを補い合って)会社を良くしよう!」といった共同体意識が芽生えます。

(※もう少し詳しく書いた記事「成果は個人のものではなく、全員のものである」がありますので、そちらも参照してもらえれば、嬉しいです)

7. 会社は「利益を最大化して分配する」ためにある

会社は「利益を最大化して分配する」ためにあります。経営者や従業員の「個人の利益」や「名声」のために、存在するわけではありません。立場や上下関係といったことに、必要以上に拘るべきではありません。誰もが「利益を最大化して分配する」ことを最優先に、働くべきです。どうしても「個人の利益」や「名声」が欲しいというのであれば、自分で会社を創って、ひとりの従業員も雇わずに頑張ってください。

例えば「先輩であるか、後輩であるか」といったことは、些末なことです。単に「先に入ったか、後に入ったか」の違いでしかありません。たとえ、入社したばかりの従業員であったとしても、何かしら「強み」をもっているのであれば、すぐにでも「得意分野」に配置すべきです。

「まずは、下働きから始めろ!」といった考え方は、ナンセンスです。たしかに最低限の下働きをして、仕事の流れを覚えることも大事です。しかしその場合は、最短期間で得意分野に異動できるような仕組みを作っておくべきです。2年も3年も、強みを活かすことができない仕事をさせていても、時間とコストの無駄遣いでしかありません。会社を設立して、人材を集めている意味がないのです。1秒でも早く、得意分野に配置した方が、会社にとって利益となるのです。

人それぞれに異なった「強み」と「弱み」があります。また、「世代」によっても「強み」と「弱み」が違ってくるのも、当然の話です。一時期、中高年従業員たちはパソコンを使いこなせていないが、若手従業員たちはパソコンを使いこなせている、という時代がありました。これはもう、本当に仕方がない話なのです。

中高年従業員には中高年従業員の「強み」と「弱み」があり、若手従業員には若手従業員の「強み」と「弱み」があるというだけのことです。お互いの「強み」を活かして、お互いの「弱み」を補い合って、会社の利益を最大化させて、個々人への分配を最大化させることだけを、考えるべきです。

間違っても、「自分の地位や立場を守るためであれば、たとえ会社の利益を最大化させることができずに、個々人(もちろん自分も含む)への分配が少なくなったとしても構わない」などと考えるべきではありません。

8. 働かないことは自由だが、足を引っ張ることだけは許してはならない

ベーシックインカムを導入すれば「働かなくても生きていける社会」になります。そのような社会になれば、当然、働かないで生活をする人たちが出てきます。しかし、それはその人の自由ですので、責めるべきではありません。

「働かないこと」自体は、決して悪いことではありません。
意図的に他人の足を引っ張るようなマネさえしなければ、社会全体の利益の最大化を阻害することはなく、社会の発展を妨げることもないからです。働きたくない人たちに、無理に働いてもらう必要はありません。

別に突き放しているわけではありません。現在は「働かなければ生きていけない社会」です。そのために誰もが自分の仕事や立場を守ろうとして、人間関係がギクシャクして、「こんな人間関係は嫌だ……もう働きたくない……」という人たちが増えているだけなのです。「働かなくても生きていける社会」にしてしまえば、人間関係は落ち着いたものになりますので、今現在、働きたくないと思っている人たちの大半は、「自分の得意分野で、自分のできる範囲で社会貢献をしよう!」と思うようになります。

私たちが絶対に許してはならないのは「(意図的に)他人の足を引っ張ること」だけです。社会全体の利益の最大化を阻害し、社会の発展を妨げるからです。誰かが何かしら「小さな社会貢献」をしようとしているところを、他の誰かが邪魔をしたとします。このときの社会的損失は計り知れません。「小さな社会貢献」が積み重なって、アイデアがアイデアを呼んで、やがては「大きな社会貢献」になります。「誰かの小さな社会貢献」の邪魔をした人がいたばかりに、「誰かの大きな社会貢献」によって得られたはずの恩恵を、私たち全員が受けることができなくなるかもしれないのです。

たとえ働いていなくても、意図的に他人の足を引っ張りさえしなければ、それはその人の自由です。しかし、たとえ働いていたとしても、意図的に他人の足を引っ張るようであれば、その人の行為を絶対に許すべきではありません。

どうして他人の足を引っ張る人が存在するのか? 
その原因の大半は、現在の社会が「働かなければ生きていけない社会」であるためです。「他人の邪魔をしてでも、自分の職を守らなければならない……」といった人たちがたくさんいるのも、残念なことではありますが、仕方がないことなのです。

そういった人たちをなくすには、ベーシックインカムを導入して、「働かなくても生きていける社会」を実現するしかないのです。

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