思考再開

自分さえ良ければ社会から、助け合い・共存共栄社会へ

ベーシックインカムが「現金」ではなく「食糧」で支給されたなら

食糧」が支給されることを想像してみてみましょう

ベーシックインカムが導入されたとするならば、支給されるのは「現金」です。しかし財源の都合から、「現金」ではなく「食糧」が支給されることになったとしても、おかしくはありません。そんなわけで「食糧」が支給されることになった社会を、想像してみましょう。

各家庭に食糧を配るのはコストがかかるので、各人が近所の集会場のようなところに、食糧を取りに行くこととします。毎日取りに行っても構いませんし、一週間に一度まとめて取りに行っても構いません。「適量」だけ持って帰ることが、唯一の決まりです。監視員はいないこととします。つまり、自分の心が痛みさえしなければ、食料を「余分」に持って帰ることが可能な状態だとします。

「監視員がおらず、しかも他の誰にも見られていない状況であれば、欲張って食料を『余分』に持って帰るという人たちが、たくさん出てきてしまう!」と思われる方もいるでしょう。けれども、実はそれほど懸念すべきことではないのです。おそらくは、ほとんどの人たちは、たとえ自分以外の人間がおらず、誰にも見られていなかったとしても、「適量」だけ持って帰ります。

たしかにベーシックインカムを導入した最初のうちは、「誰も見ていなければ、少しだけ余分に持って帰ってやろう……」といった人たちは、当然、出てくることでしょう。しかし、二ヵ月も三ヵ月も経てば、余分に持って帰るようなことは、少しずつしなくなっていきます。私たちは「慌てなくても食糧はなくならない」「明日もきちんと食糧は用意されている」ということを学習するからです。また、余分に持って帰っても「無駄に腐らせて、ゴミの処理が増えて、面倒になるだけ」ということも学習するからです。

私たちが、欲張って、ズルをして、余分に持って帰りたがるのは、「明日になったら食料が手に入らないかもしれない!」という「不安」が原因なのです。

私たちは「不安だから」多くを欲しがるのです

私たちは「不安(特に老後への不安)」だから、多くを欲しがり、多くを持ちたがるのです。「不安」がなくなれば、多くを欲しがる理由も、多くを持ちたがる理由もなくなります。私たちは多くを持ったとしても、幸せにはなれません。多くを持っているということは、それだけ多くの不安を抱えている、ということであり、しかも「管理をする手間」が増えているだけなのです。

私たちは「不安」から解放されない限り、いくら多くを持ったとしても、決して満足することはできません。「不安」から解放されれば、ほんの少しを持っただけでも(あるいは、何も持たなくても)、満足することができるのです。

ベーシックインカムは、私たちから「不安」を取り払い、「普通の幸せ」を思い出させてくれるのではないでしょうか?

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