思考再開

自分さえ良ければ社会から、助け合い・共存共栄社会へ

ベーシックインカムが導入されれば、ハングリー精神は失われるのか?

ハングリー精神の定義とは?

ベーシックインカムが導入されれば、ハングリー精神が失われてしまうのではないか?」という意見があります。私は、ハングリー精神が必要かどうかは、「ハングリー精神の定義」によって、変わってくると思っています。

次の2つは、どちらも「ハングリー精神」について語っています。

  • 「貧困から抜け出すために、サッカー選手になりたい!」
  • 「サッカーそのものが好きで好きで仕方がないから、サッカー選手になりたい!」

ハングリー精神の定義しだいです

「貧困から抜け出すために、サッカー選手になりたい!」という想いは、「貧困から抜け出したい」という意味で、ハングリーであると言えます。

彼は、「誰かの足を引っ張って、蹴落としてでも、自分だけは幸せになろう!」という人間になってしまうかもしれません。「反則すれすれのプレー」や「フリーキックが貰える倒れ方」ばかり、練習するようになるかもしれません。こういったプレイヤーが増えれば増えるほど、サッカー界は盛り上がらず、やがては衰退していくことになります。プレイヤー自身も幸せにはなれませんし、彼らのプレーを見ている私たちも面白くありません。「貧困から抜け出したい!」というハングリーさは、社会全体の利益の最大化を阻害する可能性があるのです。

「サッカーそのものが好きで好きで仕方がないから、サッカー選手になりたい!」という想いは、「サッカーそのもの」に対して、ハングリーであると言えます。

彼は、「ライバルの足を引っ張るようなマネはせずに、お互いに切磋琢磨して、技術を磨いて、サッカー界全体を盛り上げていこう!」という人間になるはずです。「反則すれすれのプレー」や「フリーキックが貰える倒れ方」ではなく、「相手を圧倒的に上回るテクニック」を身につけようとするでしょう。こういったプレイヤーが増えれば増えるほど、サッカー界は盛り上がり、より発展していくことになります。プレイヤー自身も幸せになれるでしょうし、彼らのプレーを見ることができる私たちも幸せになれます。「サッカーそのものが好きで好きで仕方がないから、もっと上手くなりたい!」というハングリーさは、社会全体の利益の最大化に貢献するのです。

「貧困から抜け出したい」というハングリー精神は、社会に対して、マイナスの影響を与えかねません。私たちは、食べていくのに困らない社会(飢餓や貧困への恐怖から解放された社会)で、「知識や技術、仕事そのものに対して」ハングリーになるべきなのです。

サッカー選手は「サッカーそのもの」に対して、お笑い芸人は「笑いそのもの」に対して、プログラマーは「プログラムそのもの」に対して、ハングリーになれる社会を目指しましょう。

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