思考再開

自分さえ良ければ社会から、助け合い・共存共栄社会へ

誰が「被害者」で誰が「加害者」か、わからない社会

誰かの「幸せ」は、誰かへの「しわ寄せ」で、できている

「ブラック企業を避けて入社する」
これは誰もがやっていること、あるいはやろうとしていることです。しかし、何となく、不毛な努力であるような気がしてなりません。

自分が入った会社は、自分にとっては、ものすごく居心地がいい優良企業かもしれません。しかし、その優良さを保つことができているのは、下請け企業や孫請け企業の従業員たちを、こき使っているからかもしれません。優良企業で働く自分は幸せかもしれませんが、下請け企業や孫請け企業で働く人たちは、幸せではないかもしれないのです。

どうやら今の世の中は、自分が「幸せ」になろうと思えば、誰かに「しわ寄せ」をしなければならないように、できているようです。

誰が「被害者」で、誰が「加害者」なのか?

下請け企業や孫請け企業で働く人たちのモラルが低下してしまったとしても、おかしくありません。不正やルーズな仕事ぶりが常態化してしまったとしても、おかしくありません。消費者の安心安全は、どんどん無くなってきています。いつかどこかの企業が不祥事を起こし、どこかの誰かが貧乏くじを引くことになるのです。

下請け企業や孫請け企業のずさんな仕事のせいで、消費者が被害をこうむったとします。はたして、誰が悪いのでしょうか? 直接、不祥事にかかわった人たちだけが悪いのでしょうか? 下請け企業や孫請け企業をこき使っていた親企業や、親企業で働いていた「何も知らなかった」従業員たちには、責任はないのでしょうか?

あるいは、被害をこうむった消費者は、被害者であることに違いありませんが、(そして事件とは全く関係ありませんが)その人自身も自分が勤めている会社で、いつ加害者になったとしてもおかしくないような働き方をしていた、ということは考えられないのでしょうか?

今の世の中は、いつ「被害者」と「加害者」が入れ替わっても、不思議ではありません。

「誰が悪い」などと、特定の人たちを責め立ててみても、世の中は良くなりません。誰かへの「しわ寄せ」によって、誰かが「幸せ」になるという社会構造を、容認し続けている限り、私たちに「真の幸せ」が訪れることはありません。私たちは「社会構造自体が問題である」ということを、もっともっと声に出して言うべきなのです。

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