ブラック企業とブラックな私たち
私たち自身がブラックです
サービス残業が当たり前の会社があるとします。ある従業員がサービス残業をなくすための業務改善を始めたところ、他従業員たちからの度重なる妨害にあい、うまくいきませんでした。しかもその従業員は「協調性のないヤツ」「コミュニケーション能力のないヤツ」として、会社から追い出されてしまいました。
誰もが「サービス残業なんか嫌だ! したくない!」などと愚痴っておきながら、皆でよってたかって、サービス残業をなくそうとしている人のことを邪魔するのですから、おかしな話です。しかし、彼らの「サービス残業なんか、なくなってほしい」という気持ちは、決して嘘ではありません。ただ、本当にサービス残業がなくなってしまっては、「会社への忠誠心を示すための小道具」がなくなってしまう、ということでもあるので、サービス残業をなくすわけにはいかないのです。それに、どんどん業務改善が進んでいけば、やがては仕事自体が少なくなってしまい、失業してしまうかもしれない、といった恐怖心もあるのでしょう。彼らなりにジレンマを抱えているわけです。そんなわけですから、彼らの気持ちが、まったくわからないわけでもありません。
しかし、情けない話です。
どうせなら思い切って、皆で力を合わせて、業務改善を徹底して、サービス残業をなくして、さらなる利益を上げる努力をする……。そのうえで経営者や経営幹部に対して「従業員全員の給料もしくはボーナスを上げてください!」と正々堂々と言えばいいのです。「社畜」になれ、と言っているわけではありません。むしろ逆です。会社に対して何かを発言することができるようになるには、ただ会社に言われるがまま仕事をするのではなく、会社に言われている以上のパフォーマンスを、自ら進んで発揮してやるしかない、と言っているのです。会社のブラックさを助長するために、頑張るのではありません。会社のブラックなところを改めてもらうために、一致団結するのです。
そういった努力もせずに、自分の生き残りのために、何かをやろうとしている人の邪魔をするなど、言語道断です。たとえ自分の生活や家族を守るためであったとしても、到底、許せるような行為ではありません。みんなで寄ってたかって追い出した従業員にだって、生活や家族があるのです。そんな自分たちのことを棚上げして、ブラック企業ばかりを責め立てる……。
何てことはありません。私たち自身がブラックなのです。
現実としては、非常に難しい問題です。あまり積極的に働いてしまっては、ブラック企業の思うツボになってしまうからです。しかし、自分自身に対するいささかの批判もなしに、ただブラック企業だけを批判するのは、あまりにも身勝手すぎると思うのです。結局、ブラック企業なんてものは、私たち一人ひとりの「自分さえ良ければ」という気持ちが生み出したもの、なのではないでしょうか?
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