「勤労の美徳」という「悪徳」について
働くことは本当に美しいことですか?
ベーシックインカムへの反対意見に、「勤労の美徳」が損なわれてしまう、というものがあります。「働かずに生きていく人が出てくることは、モラル的に間違っている! けしからん!」と、こう言っているわけです。
しかしこれは、現在の働き方が「美徳に値する」という前提に立った反論です。現在の働き方が「美徳に値しない」のだとすれば、この反論は、論理的に成立しません。
「勤労の美徳」というよりは「勤労の悪徳」です
モノが足りていない時代には「勤労は美徳」です。世の中に必要な食糧や物資を行き渡らせるために働くことは、素晴らしいことです。しかし、モノが足りている時代には、必ずしも「勤労は美徳」ではありません。世の中に必要な食糧や物資がすでに行き渡っているならば、過剰に働く必要はありません。そして今の世の中は、生活に必要なモノやサービスは、十分に足りています。
「世の中をより便利にするためのサービス」や「心を豊かにするためのサービス」を生み出す労働は立派です。しかし、「購買意欲をあおったサービス」を生み出す労働は、それほど立派ではありません。ましてや、「将来の不安をあおったサービス」を生み出す労働は、ぜんぜん立派ではありません。
食品偽装やマンションの耐震偽装をしている会社で働くことは、美徳ではありません。そういった不正に薄々と勘付いていながらも、「悪いのは経営者や上司であって、自分ではない」などと罪の意識を感じることもなく、平気な顔で給料が貰えるのであれば、それは褒められたことではありません。たとえ、自分や自分の家族の生活を守るためであったとしても、罪であることにかわりはありません。
自分の仕事を守るために、5時間でできる仕事をあえて8時間かけてしているのであれば、3時間は働いていないのと同じです。自分の立場を守るために、他人の足を引っ張ったり、他人の成果を見て見ぬ振りをしたりするのであれば、もはや社会の発展を阻害しているだけです。
はっきり言いましょう。
私たちの多くは、「仕事をしている」のではなく「仕事にしがみついている」だけなのです。
美徳とは、飢餓や貧困、そして戦争をなくすことです
「勤労の美徳」は、もはや美徳ではありません。
「勤労の美徳」という言葉があるゆえに、他人を押しのけてでも、自分が「働いている者」であろうとするくらいですから、「勤労の悪徳」と言ってもいいくらいです。したがって冒頭の、「ベーシックインカムの導入によって『勤労の美徳』が損なわれてしまう」というような考え方は成立しないのです。
社会全体の利益の最大化と分配をして、飢餓や貧困、そして戦争をなくす……。
「美徳」とは、そういったものではないでしょうか?
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